D.サーモン鮭山の「色っぽい年月」

2007年7月 7日 (土)

めぐりあい・洞(ほら)

Yume02_1第10回 竹洞組前夜⑩

このブログ、おかげさまで1日200件以上のアクセスをいただいています。

今までサーモン・小松・松浦・倖田・青山・ニナザワールドが代わる代わる記事を手がけてきましたが、そろそろお気づきの方もいるでしょう。

タケホラ君が全く記事を書いていないことに。

このブログでは、これまで約90枚の画像を掲載してきましたが、そろそろお気づきの方もいるでしょう。

タケホラ君の画像が1枚しか掲載されていないことに。(しかも寝てる写真)

つまり、タケホラ君とはそんな人です。

映画学校を卒業した1997年から僕がピンク映画に出演し始めた2002年までの約6年間、僕とタケホラ君は1度も会っていません。
それどころか、手紙・電話・メールでも一切交流はありませんでした。

僕はピンク畑のスタッフやキャストと一緒にお仕事する度に、タケホラ君の近況を訊いてみました。

ほとんどが悪い評判でした。

ある美人女優さんは、「加藤(義一)、竹洞、城定(秀夫)の3人と絡むのは絶対ムリ!」と言ってました。
(ピンク映画ではしばしば助監督がエキストラ的に女優さんと絡む場合があります)
この3人は、しばしば「3バカ」あるいは「大蔵ヌーヴェルダーク」と呼ばれていました。

タケホラ君や城定氏との出会いは既に書きましたが、加藤さんとの初仕事は2003年の『疼く義母と娘 猫舌くらべ』(山内大輔監督)でした。
加藤さんが初めて山内組にチーフ助監督としてついた作品です。

加藤さんはピンク業界に入ってからのタケホラ君を最もよく知る人物でもあります。
僕がタケホラ君と同級生だったことも知っていました。
(ちなみに加藤さんは小松さんの同級生です)
タケホラ君のことを訊ねると、「しょーもない」を連発していました。

なんとなく、タケホラ君と再会する日も近いなという予感がありました。

『疼く義母と娘 猫舌くらべ』の初号試写の日。
東映化工(現・東映ラボテック)の待合室に入ると、そこにタケホラ君がいました。
実に6年ぶりの再会でした。

タケホラ君は僕に向かって、開口一番「なんでいるの?」と言いました。
この映画に出演してるの知ってたくせに。
「なんでいるの?」はこっちのセリフです。アンタこそ部外者でしょ!

僕はお返しとばかりに、かねてから抱いていた疑問をぶつけてみました。
「タケホラは(監督)デビューしないの?」

その頃、加藤さんは既に監督として作品を連発し、高い評価を得ていました。
城定氏の監督デビュー作『味見したい人妻たち』も公開されたばかりで、これまた各方面から絶賛されていました。

先輩と後輩の活躍を目の当たりにし、一人取り残された彼はさぞ悔しかったことでしょう。
「なかなか難しくてね・・・」
普段はポーカーフェースのタケホラ君がフッと淋しそうに呟きました。

僕が生涯でただ一度、タケホラ君に同情した瞬間でした。

・・・ポレポレ初日にこんな話でいいのかどうか判りませんが、次回に続きます。

(写真は最新作『終わらない始まり』のロケ地・大阪ではしゃぐタケホラ君)

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2007年7月 1日 (日)

ジョウジョウとアヒルとピラニアたち

Yume08_1第9回 竹洞組前夜⑨

城定監督の作品には、よく動物が登場します。
映画界ではルイス・ブニュエルか城定秀夫かと言われているぐらいです。

『味見したい人妻たち』(2003)では、監督が飼っていたハムスターが僕の腕やレコード盤の上を走り回っています。
元々普通の民家をスタジオとして貸し出している場所で、縁側を開けっ放しで撮影していたところ、7~8匹連れてきた中の2匹が行方不明になってしまいました。

やがて山に逃げたハムスターは巨大化・凶暴化し、人を襲い始めました。
その話をモデルに、韓国のボン・ジュノ監督は『グエムル』を撮ったと言われています。

オムニバス『情無用の刑事まつり』(2005)中の一編『刑事ローグ』には、3種類の動物が出演しています。
金魚、アヒル、そしてサーモン。
サーモンは僕ですが、アヒルは無論あびる優ではなく、城定監督が家で飼っている本物のアヒルです。

『刑事ローグ』では、僕よりもアヒルの方が画面に映っている時間が長かったので嫉妬しました。
このアヒル、しばしば城定作品に顔を出すらしく、僕が出演していない他の作品では川に放ったアヒルが流されそうになったそうです。

城定監督も半狂乱で「ボクのアヒルを捕まえてぇ~!」と絶叫していたとの噂。
ハムスターが行方不明になった時は割とクールだったのに、えらい違いです。
きっとアヒルの方が値段が高かったんでしょう。

Vシネマ『飼育の教室 疑惑の化学実験室』(2004)の現場では、もう一匹の未知の生命体(UMA)に出会いました。
竹洞組でもおなじみの野生児・松浦祐也クンです。

松浦クンは役者志望でしたが、最初は制作部として映画業界に入りました。
実は『味見したい人妻たち』にもスタッフで参加していたのですが、その時はおとなしい印象でした。

『飼育の教室~』の時になると、既に役者として高校生役で出演していました。
僕も高校生役のエキストラで行ったんで(ここ、笑うところです)ずっと見てたんですが、松浦クンはカメラ前で何かやってやろうという意識が強すぎ、カット尻に不必要なアドリブを入れてました。
深い考えに裏打ちされているわけでもなく、野生のカンの赴くままに勝手に細胞が反応しているかのような動き。
まるで平成の世に蘇った、「ひとりピラニア軍団」のようでした。

ピラニア軍団をGoogleで検索

僕の第一印象は「うわー、共演者やりづれーだろーなー」。
後に竹洞組で共演しましたが、芝居中は本当に絡みづらいです。

しかし松浦クンのアニマルパワーは次第に周囲の人を動かしてゆき、最近では映画『初恋』で宮崎あおいと、JALのCMで妻夫木聡と共演するなど、とどまるところを知りません。
今回のR18 LOVE CINEMA SHOWCASEの予告編撮影中にも、代々木公園に遊びに来ていた一般の方のダックスフントを怒らせ、ガチで追いかけられる奇跡を起こしました。

これからも、メジャー・マイナーどちらの世界でも鼻つまみ者にされるような存在でいてほしいと思います。

小さくまとまんなよ。

(写真は竹洞組最新作『終わらない始まり』で漫才コンビを演じたサーモンと松浦クン)

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2007年6月28日 (木)

毎日がズル休み

Ajimi第8回 竹洞組前夜⑧

1998年から2002年までの僕は、山内大輔監督に呼ばれた時だけ「サーモン鮭山」になっていました。
イマ風に言えば「ハケン俳優」という感じでしょうか。

ところが、山内組以外で初めてサーモンを呼ぶ暴挙に出た男がいました。
ピンク映画『味見したい人妻たち』(2003年)でデビューした城定秀夫(じょうじょう)氏でした。

公開は2003年ですが、撮影は2002年の12月。
当時の僕は、ネット系のサポートセンターで電話のオペレーターをしていました。
ええ、まさにハケンのお仕事です。

この仕事はシフト制で、1ヶ月前に申請しないと希望した日に休むことができません。
撮影直前まで予定が立たないこともある役者業とは、抜群に相性が悪い職種です。
なぜそんな仕事をしていたのかというと、その時は自分が役者だという意識が希薄だったからです。
実際、2000年の『新・赤い密室』から2002年の『夢野まりあ 超・淫乱女の私性活』まで、2年弱のブランクがありましたし。

『味見したい人妻たち』は、衣装合わせ・撮影・アフレコと飛び飛びで計3日間の拘束でしたが、運が悪いことに3日ともサポセンの出勤日と重なりました。

こんな時、人はよくズル休みをするものです。
「風邪を引いてしまって休ませてください・・・」と会社に電話を入れた日は、暖房もロクにない部屋でハダカで絡んでました。
「喉の調子が悪くて喋れません・・・」と言い訳した日は、アフレコでアヘ声を出してました。
そもそも2002年から今年までの5年あまり、僕は1度も風邪らしい風邪を引いていません。

それまでの約1年間、無遅刻無欠勤だった真面目で誠実なオペレーターが突如当日欠勤を繰り返したため、社内では不審の目で見られました。
撮影当日に電話した際には、「昨日は元気だったよね?」なんてネチネチ絡まれました。
そんなこと言われたって、その時間にはもう現場に着いちゃってんだからどうにもなりません。
「昨日は元気でしたが、今日はダメなんです!」と、強引に押し切りました。
電話の世界では言い切った者が勝ちということを、仕事を通して学んでいたのです。

さすがにひと月に4回目の欠勤をするわけにはいかず、初号試写の日は泣く泣く出勤しました。
そんな事情も知らず、後日城定監督は「なんでボクの初号に来ないんだYO!」と僕をなじりました。
正直言って、ハケンの仕事で3日働いた方が稼ぎとしては上でした。
しかも公開時に僕は自腹でわざわざ劇場まで足を運んだというのに、なんとひどい男でしょうか。

しかしこの作品に出たことが、役者・サーモン鮭山のひとつのターニングポイントになったことは事実です。
『味見したい人妻たち』は2003年度のPGピンク大賞のベスト3に選ばれ、城定監督は新人監督賞を受賞。
新文芸坐でも上映され、コレで初めてサーモンを知った方も多いようです。
ちなみに僕が演じたのは、同棲中の彼女とのセックスやSMプレイの誘惑に負けて全然勉強がはかどらない司法浪人の役でした。

僕も好きな作品です。
3人の女優さんがみな可愛いし絡みもしっかり撮っているので男子も必見ですし、細やかな心理描写はピンク初心者の女子にもオススメできます。
相変わらずソフト化はされてないですが。

そして『味見したい人妻たち』というタイトルのくせに、人妻は一人しか出てきませんが。

ピンクなんてそんなもんさと、サザンの『女呼んでブギ』風に呟いたところで、次回に続きます。

城定監督は現在主にVシネマの世界で好編を連発しています。
山内・城定・竹洞3監督のデビュー作に立ち会えたことは、自分としては良かったと思っています。

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2007年6月18日 (月)

YONIN

Udon11_1第7回 竹洞組前夜⑦

前回に引き続き、僕のピンクデビュー作『夢野まりあ 超・淫乱女の私性活』(2002/山内大輔監督)のお話です。
(前回を読んでない方はこちらから)

あるお方の奇行のおかげでほとんど初日の撮影ができず、2日目・3日目で帳尻を合わすハメになったこの作品。
出番も役も全面的に変更になり、僕は急遽ランパブの客となりました。

さて、チーフ助監督の城定秀夫氏が寝ないで考えたランパブシーンの内容とは?

まず、最初に店を訪れた柳東史アニキがオキニのランパブ嬢・ゆきさんにプレゼントを持参します。
プレゼントの中身は・・・ゴーヤ。
しかしゴーヤでは彼女のハートを掴むことができず、軽くあしらわれ、帰っていきます。

今度は別の客=僕が現れ、 ゆきさんにマツタケをプレゼント。
すると、ゴーヤの時とはうってかわって大喜び。
彼女と僕はラブホでHに至る・・・というものでした。

ゴーヤは本物でしたが、マツタケは城定氏がシイタケを加工して作ったものでした。
元の台本にはマツタケなど出てこなかったのに、いつの間に作ったんでしょーか。驚きです。

僕はピンク初出演&初絡みでただでさえ緊張していたのに、
(ピンクで使うカメラはビデオカメラと違い、回る時にでかい音がするので最初は面食らうのです)
台本は当日変更になるし、なぜか先輩役者の柳アニキが僕のシーンをずっと見学してるし、やりにくいったらありゃしませんでした。
絡みはサーモンなのにほとんどマグロ状態で、終始ゆきさんのリードで終わりました。

僕も柳アニキもゆきさんも、自分が出る部分の改訂台本(しかもキッタネー字の手書き)しか渡されなかったため、全体像が見えず、この作品が一体どんな話になるのか見当もつきませんでした。
柳アニキは覆面のレイプ魔役という設定こそ変わりませんでしたが、シーンの意味合いや量・順番が変わって、演じている最中何が何だか判らなかったといいます。

しかも柳アニキの拘束日は初日とこの2日目だけ。
3日目はいなかったので、別の役で来ていた俳優・平川直大さんと城定氏、セカンド助監督の江利川氏が代わる代わるマスクを被って柳アニキの役を演じました。

一人四役ならぬ、四人一役。
通常、猫や犬や馬が主役の動物映画でしか見られない手法です。
この作品を注意して見ると、カットによってマスクマンの背が伸びたり縮んだり痩せたりお肉が付いたりしてる気がしますが、きっと目の錯覚です。

2日目・3日目は何とか作品を成立させるだけの分量を撮りきり(もちろん最初の台本とは内容が違いますが)、前例のないアバンギャルドな映画が完成したのでした。

初号試写の日。
誰もが作品の全貌を初めて知り、そして、驚愕しました。

つ、つながってる・・・

4人のマスクマンが、違和感なくつながっていました。
路頭に迷っていたキャスト陣も、ジグソーパズルのピースが合わさるかのごとく噛み合っていました。
これこそまさに映画のマジック・・・

山内&城定コンビの粘りと機転もさることながら、あの過酷な状況下で空中分解寸前の作品を鑑賞に堪えうる商品に仕上げたカメラワークの力も凄いなと思いました。

そのカメラマンこそ、後に竹洞組のレギュラーとなる創優和氏でした。
この作品以来、創さんには誰よりも多い回数、僕の恥ずかしい姿を撮ってもらってます。

次回に続きます。

(写真は『恋味うどん』の現場で、柳東史アニキ(右)と)

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2007年6月13日 (水)

本当にあったこわい話

Maria_3第6回 竹洞組前夜⑥

鬼畜系Vシネマを7本撮った後、山内大輔監督は1年半ほど新作が撮れなくなりました。
きっとキャストやスタッフ達の生き霊が取り憑いていたのでしょう。
当時は山内組にしか出てなかったサーモンも、当然開店休業状態になりました。

ところが2002年・夏。
山内監督は突如ピンク映画界に参入します。
久々に会った彼は、自慢の金髪ロン毛をバッサリ切って黒髪になっていました。
ようやく真人間に戻る決心をしたのかと胸が熱くなり、僕は出演を快諾しました。

しかし僕と山内監督のピンク映画デビュー作『夢野まりあ 超・淫乱女の私性活』は、またもや呪われた展開になりました。
僕が呪われていたわけではありません。監督が呪われていたんでしょうね。

僕は公園でヒロイン(OL)の背後に現れ、 「だあーれだっ」と目隠しするセクハラ課長の役。
さほど重要なシーンではなく、2日目だけの出演で、絡みもありませんでした。

撮影初日の21時過ぎぐらいでしょうか。 チーフ助監督の城定秀夫氏から電話がかかってきたのは。
声のトーンからただごとではない事態だと判りました。

「今日予定してたシーンがほとんど撮れなかったので、台本通りに撮るのは現時点で既に無理。
内容大幅に変わります。台本これから直します。セクハラ課長じゃなくなります。
何の役になるかはまだわかりません。とりあえず予定通り来てください」

あの・・・ものすご~く不安なんですけど・・・
僕は電話を切ろうとした城定氏に慌てて訊ねました。
「城定さん、衣裳は・・・衣裳は?!」

城定氏は、全く想定外のことを訊かれたかの様子でした。
「・・・スーツで・・・いいかな・・・」
スーツでいいかな、って・・・エキストラだってフツーは衣裳指定されるのに・・・
僕は鈍器で後頭部を殴られた気がして、それ以上何も言えませんでした。

一時間半後、今度は山内監督から直々に電話がかかってきました。
やはり声が疲れ果てていました。

「今日予定してたシーンがほとんど撮れなかったんで、台本通りに撮るのは無理。
内容大幅に変わるから。台本これから直すから。セクハラ課長じゃなくなる。
何の役になるかはまだわからないな。とりあえず予定通り来て」

僕は電話を切ろうとしたY監督に慌てて訊ねた。
「監督、衣裳は?! スーツでいいの?!」
「・・・大丈夫かな・・・大丈夫だね・・・」

オイオイ、不安だな!
ここまでくると僕も腹をくくるしかありません。
しかし集合時間は早朝。あと数時間で改訂台本はホントに上がるんでしょうか?

数時間後。
集合場所に監督と城定氏が並んでやってきました。
あの時の2人の顔を僕は一生忘れないでしょう。
あれこそ、生ける屍、リビング・デッドの表情でした。
新宿のカプセルホテルで、2人で寝ずに台本を書いたんだそうです。

渡された台本は明らかに清書などしていない、キッタネー字の走り書きでした。
僕は小金井という役名こそそのままでしたが、いつの間にかランパブの客になっていました。
もちろん元の台本にはランパブのシーンなどありません。
それどころか香盤表すらなく、撮影する順番も監督と城定氏が行きあたりばったりで決めてました。

なぜこのような事態に陥ってしまったのでしょうか。
初日にいなかった僕は又聞きでしか知りませんが、どうやらある方が「スタジオに霊がいる!」とか言い出したり、奇妙な言動を繰り返したのが原因のようです。
ていうかこれ以上書けません。

控室で、竹洞組などで何度も共演することになる柳東史アニキ、そして(横浜)ゆきさんと「この作品、どうなっちゃうんだろう?」なんて話をしました。
柳アニキとは初対面でしたが、僕のことを知っていたのに驚きました。
山内Vシネのオーディションを何度か受けたことがあり、作品をよく観ていたそうなのです。

柳アニキは、残酷Vシネによく出ていた僕のことを「残酷役者」と呼びました。
僕は「何なんだこの人は」と思いました。

後に(脳)ミタカ商事という奇妙な脳内企業を一緒に旗揚げすることになるとは、夢にも思いませんでした。
柳アニキには世話になってますし、役者としてはリスペクトしてますが、人間的にはどうかと思う部分もあります。

・・・こんな締めにするつもりじゃなかったので、次回に続きます。

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2007年6月12日 (火)

JOJOの奇妙な小道具

Dead01第5回 竹洞組前夜⑤

1999年の『赤い密室』(あかいへや)を皮切りに、山内大輔監督のスプラッターVシネマ7連発が始まりました。
僕はシリーズ2作目の『無残画』(むざんえ)から6本連続で出ています。

サーモン鮭山という芸名は、デビュー作の『お手入れ生中継!!』の撮影後に自分から提案した名前です。
キャストが3人しかいないのに助監督と出演者の名前が同じだとあまりにチャチすぎるから、というのが理由。
元々中学生時代に遊びで考えていた名前で、1本限りのつもりでテキトーにつけたものです。

ところが『無残画』では、監督の強い意向で役者オンリーで呼ばれることになりました。
まったく面識のない助監督から生まれて初めて「サーモン鮭山さんの電話でよろしいでしょうか?」と連絡があった時の違和感は今でも忘れられません。
「オレはサーモンじゃねえ!」と、心の中で何度も叫びました。
納得いかない芸名をつけられた新加勢大周の心情が理解できる気がしました。

電話をしてきた助監督が城定秀夫(じょうじょう)氏。
このシリーズでは、彼をはじめピンク畑の助監督さんや役者さん達と初めてお仕事することになりました。
例えば、神戸顕一、平川直大、竹本泰志、里見瑤子、相沢知美、佐々木基子、さとう樹菜子、時任歩、吉田祐健(以上敬称略)といった方々と共演させていただきました。
にっかつロマンポルノや若松孝二監督作品はよく観てましたが、80年代以降のピンク映画は未見でした。
自分の知らない世界にたくさんの個性派・実力派俳優がいることを知り、毎回新たな発見があったものです。

超低予算にも関わらず、いつも山内監督はムチャクチャなホンを書いてきました。
焼きソバパンを食っていたデブ女が、路上でダンプに轢かれて飛び出た内臓から焼きソバが顔を出すとか。
股間から胎児を取り出し、ヘソの緒で男の首を絞めて殺すとか。
首をはねる、腕を切り落とす、眼球が飛び出す、内臓がはみ出す系は日常茶飯事でした。

ちなみにヘソの緒で絞殺されたのは吉田祐健さんですが、
後年竹洞組『短距離TOBI-UO』で久々にお会いしたら、「あの気持ち悪い作品!」と顔を歪めてらっしゃいました。

変態御曹司役の竹本泰志さんが、女子高生役の里見瑤子さんの自転車のサドルを盗んで真空パックで保存してるとか、カテーテルを彼女の尿道に突っ込んでオシッコを飲むくだりもなかなか頭が悪い描写でした。

僕が出た中で一番過酷だったシーンは、クリスマスイブ前日に湖のほとりで全裸で時任歩さんと絡ませられ、
しかも豚の内臓混じりの血糊を頭から大量にぶっかけられるというものでした。
寒くて辛くて、ロケ終了後泣きながら家に帰ったのを覚えています。

そんな病んだ小道具を一手に引き受けていたのが、美大出身の城定氏。
毎回毎回「肉屋で豚の内臓仕入れてきました」と監督に報告していました。
常にホルモン過多の現場でした。

役者の衣装にパイプを通し血糊を噴射させたり、シイタケを加工してマツタケを作るとか、いろんなものを擬似でこさえさせたら天下一品でした。
シイタケを加工してマツタケを作るスキルは、おそらく他の映画の現場では必要ありませんが。

何本か仕事して打ち解けてきた頃、JOJO氏に訊ねてみました。
「Youタケホラ知ってる? me同級生なんだけど」
彼の回答は「よーーーく知ってますよ」。
声のトーンから不穏な空気を感じ取った僕は、それ以上タケホラ君について訊ねるのを止めました。

時は流れ2002年、山内監督のピンク進出と城定氏の監督デビューによって、僕もピンク映画界に足を踏み入れることになります。

次回から竹洞組ゆかりのメンツが徐々に登場してきます。

(写真は2000年リリースの『最強女子コーセー伝説 キョーコVSゆき』より。剣を額に突き刺され絶命するシーン)

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2007年6月 6日 (水)

セックスと演技とキネシオテープ

Yamanouchi01_1第4回 竹洞組前夜④

『女の子の部屋 お手入れ生中継!!』は山内監督の友人宅で2日撮り。
スタッフ全員と、主役以外のキャストは監督の友人・知人ばかりで、まさに自主映画状態でした。

現場の移動もなくお手入れシーンばかりだったのに、初日からなぜか徹夜状態。
僕は助監督でしたが、監督がこだわっているポイントがまったく理解できませんでした。

脱毛クリームを腕に塗りたくる場面になると、僕らは監督と主演女優さんだけを残して部屋の外に出ました。
監督は自らカメラを持ち、ただのお手入れシーンをまるでハメ撮りでもするかのように撮り始めました。
こんな大人にはなりたくないなと思いました。

主役のコもうんざりしたのでしょう。
僕らのケアが行き届かず、時間を追うごとに彼女の機嫌は悪くなっていきました。
山内監督が女優に嫌われるのは、この時からの恒例行事です。
最後の初体験シーンを撮り始める頃には、2日目のてっぺんを越えて3日目の明け方になってました。

いよいよ僕もVシネ男優デビュー。
作品のためなら、脱ぐのに抵抗はありませんでした。
乳首も乳輪もお見せする覚悟はできていました。

Vシネマやピンク映画はAVとは違って疑似本番です。
生まれて初めて前バリというものを装着する瞬間がやってきました。
しかし前バリの仕方などわかりませんし、教えてくれる人もいません。

しょうがないので、昔『笑っていいとも!』で時任三郎さんが前バリの話をしていたのを思い出しながら、キネシオテープとガーゼを切って自己流で作りました。
さんざん苦労したのに、監督に「前バリ、でかすぎるんじゃないの?」と言われ、殺意を覚えました。

ヒロインの初体験シーンが、奇しくも僕の絡み初体験となりました。
衣装は、後々僕の定番ファッションとなる白ブリーフ一丁でした。

前フリも台詞もなく、いきなり絡みが始まりました。
もはや演技もクソもありません。
はじめてのチュウをした瞬間、相手が不機嫌になったのが分かりました。
そこまでの不満を爆発させたのか、監督や僕に文句を言い始めました。

全く息が合わず、肌の温もりも感じない。
竹洞組の『森鬼』で真冬の樹海で絡んだ時以上に極寒の絡みでした。
いや、樹海の方が寒かったな。すみません、ウソつきました。

冷えきっているこちらの様子に全く気づかないのか、山内監督は悪趣味な演出を続けました。
最後に撮ったカットは、彼女に微笑みかけた時、僕の歯に陰毛が挟まっているというものでした。
その毛は、僕が自分の脇毛を切って洗って使いました。

・・・どこが「理想の彼氏」やねん。
「サーモン=変態」路線はここで決まったようなものです。

今後どんなに僕や山内君がビッグになったとしても、デビュー作が『お手入れ生中継!!』である事実は、菊池桃子のデビュー作が『パンツの穴』である以上に重い十字架となってのしかかるでしょう。

後日、この作品の編集マンが僕の映像を見て本物の知○遅れだと思ったそうです。

そして主演女優の事務所からは大クレームが入りましたが、
山内監督は自慢の金髪ロン毛をかき上げてヘラヘラ笑うだけでした。

そんな強心臓が買われたのか、翌1999年から2000年にかけて、
山内監督はスプラッターVシネマを7本も連発することになります。

その一連のシリーズにずっと助監督でついていたのが、城定秀夫氏でした。

新キャラが出てきたところで、次回に続きます。
タケホラ君と再会するまで、あと数回。

(写真は金髪を切って真人間に近づいた近年の山内監督)

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2007年6月 5日 (火)

処女。をプロデュース

Oteire第3回 竹洞組前夜③

1998年、初夏。

山内大輔君から連絡がありました。
「デビュー作を撮るから手伝ってほしい」
「超低予算のVシネマで自主映画に近い体制だから、助監督お願い。あと・・・出演も」

今思えば、これが億単位の映画から低予算の世界への転落の瞬間でした。
もしも自分の人生をやり直すことができるなら、迷わずこの地点からやり直します。

「出演も」という言葉には伏線がありました。
その頃の僕は制作部をお休みして、アメリカに行ったり、シナリオを書いたり、
役者でもないのに舞台に立ったりしていたのです。
舞台を観に来た山内君は、他の上手い役者さんそっちのけで、なぜか僕をベタ誉めして帰っていきました。
おそらく頭がイカれていたのでしょう。

とは言え、久々に現場の空気を吸いたかったし、当時仲良かった山内君のデビューを応援したいという気持ちから、あまり深く考えずにOKしました。
あっ、今も仲いいです。多分。

この作品=『女の子の部屋 お手入れ生中継!!』は、キャストがたったの3人。
カメラも部屋の中からほとんど出ない、確かに激安な作りでした。
お話は以下の通り。

可愛いけど奥手でバージンの女の子に、ようやく理想的な彼氏ができます。
その彼が初めて部屋に来ることになりました。
経験豊富な妹に茶々を入れられながらも、理想の初体験を迎えるべく、
彼女はせっせせっせとカラダのお手入れに励みます。

エロVシネマではありますが、絡みは最後の初体験シーンしかなく、
脱毛などのお手入れ描写が延々と続くひたすらマニアックな展開でした。

山内君は大学の卒業制作で撮ったスプラッター映画がゆうばりファンタで高く評価され、監督デビューを果たした人です。
それがこんな頭の悪い企画を撮らされ、さぞかし不本意だろうと思いきや、
『お手入れ生中継!!』は本人の企画と聞いてひっくり返りました。

彼曰く、「女子が腋毛を毛抜きで抜く時に浮かべる苦悶の表情にたまらなく興奮を覚える男子向け」に作った作品だそうです。
爛々と瞳を輝かせ熱く語る山内君の姿を見て、僕のテンションはどんどん落ちていきました。

さて、あらすじを読んでお分かりのように、出てくる役は「ヒロイン=処女のコ」と「妹」と「理想の彼氏」だけです。
ヒロインは当時ヌードグラビアで人気があった方でした。
妹役は監督の友達の一般人でしたが可愛い方でした。
理想の彼氏役が僕でした。

誤植ではありません。
理想の彼氏役が僕でした。

案の定、かなりバッド・テイストな初体験シーンとなりました。

もう少しこの話をしたいのですが、一向にタケホラ君が出てくる気配がないので、ひとまず次回に続きます。

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2007年6月 3日 (日)

黄金の犬

Tao02第2回 竹洞組前夜②

1回やってみましたが、早くもタケホラ君の話題に飽きたので、竹洞組とはまったく関係ない話をしてみます。
五木ひろしぐらい目を細めてみれば、一本の線につながって見えるかも知れません。

1997年、春。

タケホラ君がピンク映画業界に足を踏み入れた頃、僕の方は予算が億単位のSF時代劇映画の制作部をやってました。
元々僕はタケホラ君と同じ演出コースの出身で、その頃は俳優じゃないどころか俳優志望ですらありませんでした。

期待と不安を胸に、調布の日活撮影所に設けられたスタッフルームのドアを開けた時、
見た目にヤバい男の姿が真っ先に視界に飛び込んできました。

風になびく金髪ロン毛とギラギラした眼差し。
さながら狂犬病にかかったゴールデンレトリバーのようでした。
そんな犬、見たことないですが。

その男こそ、千葉の狂犬・山内大輔君でした。
「君子危うきに近寄らず」を実践していた僕は、山内君をしばらく敬遠していました。
ちなみに竹洞組のチーフ助監督・山口大輔君とは別人28号です。

約3ヶ月にわたった撮影はとにかく過酷でした。
監督と女性を除く大半のスタッフが、栃木のスーパー銭湯の宴会場で屍のように折り重なって眠ってました。
その間の僕の平均睡眠時間は3時間弱。
時給に換算すると180円ぐらいでしょうか。
明らかに法に触れています。

山内君と親しくなったきっかけは、彼が助監督にとってチンコの次に大切なカチンコを現場に落としてきたことです。
「皆に知られたら恥ずかしい」と狂犬のくせに情けないことを言うので、夜中2人だけで車を飛ばして取りに行きました。
助監督と制作部の一番下っ端同士、その後は意気投合しました。

色々なことがありました。
甲冑をつけ落武者コスプレでハイエースを運転したり、怪獣と一緒に山に置き去りにされたり。

来る日も来る日も、地面に大量の血糊と切断された手足のダミーをバラまき、
夜は2人で当時起きた酒鬼薔薇の事件について語ってました。
もう少し僕等の心が荒んでいたら、共謀して上のスタッフを殺していたかも知れません。
あれ以来、「殺られる前に殺れ!」が座右の銘になりました。

映画はいつでも戦場、恋はいつでも初舞台です。

地獄から生還した山内君は、翌年Vシネマで商業監督デビューを果たします。
同時に、その作品が僕の俳優デビュー作となります。

その記念すべき作品のタイトルは、

『女の子の部屋 お手入れ生中継!!』

・・・恥ずかしいタイトルが出てきたところで、次回に続きます。

(写真は10年前の狂犬と鮭)

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2007年6月 2日 (土)

哲也の寿司

Udon04

第1回 竹洞組前夜①

皆さんこんにちは。変態・死体役でおなじみのイレギュラー俳優・サーモン鮭山です。
でも、恋する時はただの一人の男です。

ご存知の方もいるかと思いますが、テツヤ・タケホラ氏とはN映画学校の同級生であります。
ピンク業界、身近なところではK松公典さんとK藤義一監督がN芸術学院の同級生同士だったりしますが、
あの2人ほど犬猿の仲でもなく、タケホラ氏とは割り切った大人の関係をキープしています。
その証拠に、毎回友情出演程度のギャラしかもらってません。
友情、放棄したいです。

タケホラ組の現場では、唯一監督だけが僕のことを「ナカムラさん」と呼びます。
「ナカムラ」というのは僕の本名です。
本名には「サーモンサケヤマ」の一文字も入ってません。

学生時代、タケホラ君とは一度も映画の話をしたことがありません。
たまたま僕ら2人とも出身が青森なのですが、僕は青森の中でも大都会に住んでいたので、
タケホラ君が生まれた人口39人ほどの小さな村のことを知りませんでした。
タケホラ組の製作プロダクション名・「ブルーフォレストフィルム」は青森を何のヒネリもなく直訳したものです。

ちなみに「竹洞」という苗字は青森でも珍しく、18年間住んでいた僕でも聞いたことがありません。
映画学校のある講師は、出席を取る度に「チクドー、チクドー」と呼んでいました。

しかしタケホラ君の返事はありませんでした。
学校に来てなかったからです。
噂では友人の家を転々としていたようです。
いつ風呂に入っていたかも不明です。
寿司屋でバイトしていたそうですが、そんな彼が握る寿司は何も混ぜなくても酢メシになっていたと云います。

ぶっちゃけ、全く目立たない学生でした。
年に数回ある撮影実習でも、プロデューサーや監督、脚本といったメインのポジションを
担当することはほとんどありませんでした。
その頃の彼の作品で僕の手元に残っているのは、「POCARI SWEAT」という題の短編小説?だけです。
そのぐらい、タケホラ君はポカリスエットのように透明な存在でした。

さて。
卒業後、テツヤ・タケホラ君と僕とは、しばらく別々の道を歩むことになります。

タケホラ君はピンク映画の助監督になりました。
最初についた現場で、彼の面倒をみたのが加藤義一助監督でした。
タケホラ君は今でも感謝の意を表して、先輩のことを「カトキチ」と呼んでいます。
ちなみにもっと後輩の城定秀夫氏も「カトキチ」と呼んでいます。

・・・なんだか加藤さんが可哀相になってきたので、次回に続きます。

(写真は『恋味うどん』の現場で)

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