めぐりあい・洞(ほら)
このブログ、おかげさまで1日200件以上のアクセスをいただいています。
今までサーモン・小松・松浦・倖田・青山・ニナザワールドが代わる代わる記事を手がけてきましたが、そろそろお気づきの方もいるでしょう。
タケホラ君が全く記事を書いていないことに。
このブログでは、これまで約90枚の画像を掲載してきましたが、そろそろお気づきの方もいるでしょう。
タケホラ君の画像が1枚しか掲載されていないことに。(しかも寝てる写真)
つまり、タケホラ君とはそんな人です。
映画学校を卒業した1997年から僕がピンク映画に出演し始めた2002年までの約6年間、僕とタケホラ君は1度も会っていません。
それどころか、手紙・電話・メールでも一切交流はありませんでした。
僕はピンク畑のスタッフやキャストと一緒にお仕事する度に、タケホラ君の近況を訊いてみました。
ほとんどが悪い評判でした。
ある美人女優さんは、「加藤(義一)、竹洞、城定(秀夫)の3人と絡むのは絶対ムリ!」と言ってました。
(ピンク映画ではしばしば助監督がエキストラ的に女優さんと絡む場合があります)
この3人は、しばしば「3バカ」あるいは「大蔵ヌーヴェルダーク」と呼ばれていました。
タケホラ君や城定氏との出会いは既に書きましたが、加藤さんとの初仕事は2003年の『疼く義母と娘 猫舌くらべ』(山内大輔監督)でした。
加藤さんが初めて山内組にチーフ助監督としてついた作品です。
加藤さんはピンク業界に入ってからのタケホラ君を最もよく知る人物でもあります。
僕がタケホラ君と同級生だったことも知っていました。
(ちなみに加藤さんは小松さんの同級生です)
タケホラ君のことを訊ねると、「しょーもない」を連発していました。
なんとなく、タケホラ君と再会する日も近いなという予感がありました。
『疼く義母と娘 猫舌くらべ』の初号試写の日。
東映化工(現・東映ラボテック)の待合室に入ると、そこにタケホラ君がいました。
実に6年ぶりの再会でした。
タケホラ君は僕に向かって、開口一番「なんでいるの?」と言いました。
この映画に出演してるの知ってたくせに。
「なんでいるの?」はこっちのセリフです。アンタこそ部外者でしょ!
僕はお返しとばかりに、かねてから抱いていた疑問をぶつけてみました。
「タケホラは(監督)デビューしないの?」
その頃、加藤さんは既に監督として作品を連発し、高い評価を得ていました。
城定氏の監督デビュー作『味見したい人妻たち』も公開されたばかりで、これまた各方面から絶賛されていました。
先輩と後輩の活躍を目の当たりにし、一人取り残された彼はさぞ悔しかったことでしょう。
「なかなか難しくてね・・・」
普段はポーカーフェースのタケホラ君がフッと淋しそうに呟きました。
僕が生涯でただ一度、タケホラ君に同情した瞬間でした。
・・・ポレポレ初日にこんな話でいいのかどうか判りませんが、次回に続きます。
(写真は最新作『終わらない始まり』のロケ地・大阪ではしゃぐタケホラ君)
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