黄金の犬
1回やってみましたが、早くもタケホラ君の話題に飽きたので、竹洞組とはまったく関係ない話をしてみます。
五木ひろしぐらい目を細めてみれば、一本の線につながって見えるかも知れません。
1997年、春。
タケホラ君がピンク映画業界に足を踏み入れた頃、僕の方は予算が億単位のSF時代劇映画の制作部をやってました。
元々僕はタケホラ君と同じ演出コースの出身で、その頃は俳優じゃないどころか俳優志望ですらありませんでした。
期待と不安を胸に、調布の日活撮影所に設けられたスタッフルームのドアを開けた時、
見た目にヤバい男の姿が真っ先に視界に飛び込んできました。
風になびく金髪ロン毛とギラギラした眼差し。
さながら狂犬病にかかったゴールデンレトリバーのようでした。
そんな犬、見たことないですが。
その男こそ、千葉の狂犬・山内大輔君でした。
「君子危うきに近寄らず」を実践していた僕は、山内君をしばらく敬遠していました。
ちなみに竹洞組のチーフ助監督・山口大輔君とは別人28号です。
約3ヶ月にわたった撮影はとにかく過酷でした。
監督と女性を除く大半のスタッフが、栃木のスーパー銭湯の宴会場で屍のように折り重なって眠ってました。
その間の僕の平均睡眠時間は3時間弱。
時給に換算すると180円ぐらいでしょうか。
明らかに法に触れています。
山内君と親しくなったきっかけは、彼が助監督にとってチンコの次に大切なカチンコを現場に落としてきたことです。
「皆に知られたら恥ずかしい」と狂犬のくせに情けないことを言うので、夜中2人だけで車を飛ばして取りに行きました。
助監督と制作部の一番下っ端同士、その後は意気投合しました。
色々なことがありました。
甲冑をつけ落武者コスプレでハイエースを運転したり、怪獣と一緒に山に置き去りにされたり。
来る日も来る日も、地面に大量の血糊と切断された手足のダミーをバラまき、
夜は2人で当時起きた酒鬼薔薇の事件について語ってました。
もう少し僕等の心が荒んでいたら、共謀して上のスタッフを殺していたかも知れません。
あれ以来、「殺られる前に殺れ!」が座右の銘になりました。
映画はいつでも戦場、恋はいつでも初舞台です。
地獄から生還した山内君は、翌年Vシネマで商業監督デビューを果たします。
同時に、その作品が僕の俳優デビュー作となります。
その記念すべき作品のタイトルは、
『女の子の部屋 お手入れ生中継!!』
・・・恥ずかしいタイトルが出てきたところで、次回に続きます。
(写真は10年前の狂犬と鮭)
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